昔好きだった歌がある。
「『例えば偶然 もしくは必然 僕らは』……、あれ、この後何だっけ?」
今はもう歌詞を忘れてしまったけれど。
あの日から過ぎた何万秒もの過去はあまりに長くて、もう聞かなくなった、歌わなくなったあの歌を忘れるには十分すぎる時間だった。
あたしと睦月が好きだった歌。
桜も青空も嫌いになったけど、この歌はまだ嫌いになれずにいる。
あたしがまだ、睦月を嫌いになれずにいるから。
そしてまたあたしは、頭の中であの歌を繰り返す。
この歌を忘れないように、睦月との思い出を忘れないように。
何度も、何度も。
* * *
今年は暖冬だったせいもあり、四月の初めには殆どの桜が散ってしまっていた。
「入学式までもたなかったね」とがっかりしている声も聞こえたけれど、正直あたしはほっとしている。
大嫌いな桜、見なくてすむし。
あの日から一年とちょっとが過ぎて、あたし達は高校三年生になる。
一年前のあの日から、何も変わらないまま――。
「ななせー」
生徒でごった返す掲示板の前で自分の名前を探していたらのんちゃんに呼ばれて振り向く。人ごみの中をすり抜けながら私の名前を呼ぶのんちゃんに、あたしは小さく手を振り返した。
「今年は一緒のクラスだね、七瀬」
「嘘!? どこ?」
「三年E組」
のんちゃんに言われて、あたしはすぐに三年E組の生徒名簿に目をやった。
「……もしかして、自分のクラスまだ見つけてなかった?」
「う、うん。ごめん」
去年もそうだったけど、この膨大な氏名の中から自分の名前を探すのにはいつも手間取る。この学校は一学年十クラス、一クラスは四十人くらいだから四百人の中から自分の名前を探さなければならない。だから大抵は自分の名前を探すので精一杯で、友達のことなど構う余裕なんてないはずだ。やっぱりのんちゃんは要領がいいというか、何というか……。
「あ、あった」
三年E組の生徒名簿の下のほうにやっと自分の名前を見つけた。四十人中出席番号三十二番、宮内七瀬(ミヤウチ ナナセ)。そこから少し上の二十六番には野々原瞳(ノノハラ ヒトミ)――のんちゃんの名前もある。そして、それと同時に見つけてしまった。私の一つ上、出席番号三十一番――、
「お、七瀬に野々原じゃん」
……名前を見つけた瞬間、本人登場。ワックスで立てたような黒髪、その少し伸びた襟足部分の髪がちろちろと風に遊ばれている。少し目つきが悪いのを除けば整った顔立ちは少なからず周りの目を惹いた。
南八潮(ミナミ ヤシオ)。三年E組出席番号三十一番、友達。
「南、久しぶり。また同じクラスだからヨロシク」
「おお。よろしく、野々原」
人ごみを掻き分けてあたしとのんちゃんのところまで来ると八潮はにっと笑う。のんちゃんとお互い拳を出すと、それをお互いごつりと突き合わせて再会に喜びを隠せない様子だった。そっか、のんちゃんと二年の時は違うクラスだったからなあ。まあ一年の時は同じクラスだったし、二年の時ものんちゃんがよくあたしのクラスに遊びに来てくれてたりはしてたんだけど。
「で、七瀬とはまた一緒か」
「そうだね、残念だけど」
一方で、あたしと八潮は一年、二年とクラスが一緒。で、このクラス発表で三年も同じクラス確定。苗字の関係で出席番号はいつも前後だし、あたしが「七瀬」、こいつが「八潮」という名前だから、前のクラスでは「ナナハチコンビ」なんて呼ばれることもあった(どこかの漫画にそういう名前のコンビがいるらしいけどあたしはよく知らない。それとは無関係らしいけど)。
「まあなっちまったもんは仕方ないし。またよろしく、七瀬チャン?」
「……こちらこそよろしくね、八潮クン?」
いつも呼び捨てで呼び合うのにわざとらしく「ちゃん」付けであたしを呼ぶ八潮にこちらもわざとらしく「君」付けで返し、お互い左手を差し出して握手する。勿論あたしは最大限の力を込めて(八潮も力を込めてはいるけれど全力ではない。当たり前だ、こいつが全力で握ったらあたしの手は確実に骨折する)。
これがあたしと八潮の日常――いつものやり取り。こういうやり取りが出来るからこそ八潮には気を使わない、素のあたしでいられる。そういう意味ではのんちゃんと同様、八潮も大事な友達だ。
「七瀬、南も行くよー」
気がついてみれば、もう予鈴のチャイムが鳴り響いていて。のんちゃんは人ごみを抜けて遠くの方からあたしと八潮を呼んでいた。
「おお。行くぞ、七瀬」
「うん。……あ、ちょっと待って!」
やばい、重要なこと忘れてた。八潮と握手していた手を離して歩き出そうとした瞬間それを思い出して、あたしはふと足を止めた。それにつられてか、前にいた八潮も足を止める。
「ごめん、ちょっと二人とも先行ってて」
「え……ああ、うん」
のんちゃんは適当な返事をして昇降口へと向かって歩き出す。それを見届けてから、あたしは再びクラス発表の名簿に目を戻した。
大事な名前を探すのを忘れていた。教室に行けばわかることなんだけど、教室で何も知らずに顔を合わせる勇気はない。とりあえず、同じクラスかどうかだけでも確認しなきゃ。
小泉、小波、斉藤――。
「『坂下睦月(サカシタ ムツキ)』」
「とぅあぁーっ!」
先に行ったと思っていた八潮の声に思わず奇声を上げてしまった。というか耳元で囁くな耳元で。そんなに近づかなくても聞こえてるっつーの。
「八潮! 先に行っててって言っ「睦月ならB組だってよ」
「え……」
何でこいつは私の考えてることがわかったんだろう。あたしが探してたのが睦月の名前だって。でもそっか、B組か。がっかりしたような、安心したような。
「お前らと会う前に睦月と会ってさ、『クラス大分離れちゃったね』って笑ってた」
「そっ…かぁ……」
睦月も一年の時は同じクラスで、だから八潮と仲がよくても当然だ。というか、一年の時はよく四人で行動してたしなあ。あたしとのんちゃんと、睦月と八潮。グループ行動はいつもその四人で、一緒にご飯食べたりとかプライベートで遊びに行ったりしたっけ。……楽しかったなあ。
「ほら、もうわかっただろ? 行くぞ」
「……うん」
何で睦月の名前を探すのか聞かないのは、一年前のあの出来事を知っているからではなく、ただ単に八潮が気を利かせてくれているからだろう。奴は変なところで紳士だ。けれど、今はその態度に少し感謝したい。人前で睦月の話は……あまりしたくないから。
「やっべ、着席完了一分前。遅刻したら昼にやきそばパンおごれ」
「何それ! あんたが勝手に一緒に……ってうわー、 チャイム鳴った!」
「はい、おごり決定―」
「むっかつく……」
これから始まる新しい生活に少しばかりときめきつつ、あたしと八潮は昇降口へと駆け出した。
楽しかったあの頃。
睦月と別れて桜と青空は嫌いになったけど、他は今も変わらない楽しくて優しい日々。
それでも睦月と付き合ってたあの頃が戻ってくることはない。
四人が一緒だったあの頃は、もう――。
何も変わっていなくても、過去は決して戻ってこない。
決して、やり直すことなんて出来ないんだ。
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