もしも時間を戻せるなら、私は絶対に一年前のあの日に戻る。
 あの日に戻って、「別れたくない」ってきちんと睦月に伝えて、もう一度あの四人が一緒だった日々に帰りたい。
 けれど、そんなのは絶対に無理で。
 あたしは、振り向かないで歩くことしか出来ない。

 絶対に、振り向かない。

 だから、睦月も振り返らないで。

 振り向いたら、あたしは睦月を諦めきれなくなるから。

 絶対に振り向かないで。



 お願いだから。







   *  *  *  








 長い長い始業式が終わると、あたし達は一旦二年のクラスに戻り荷物を運び出すことになった。そりゃそうだよね、あたしだってロッカーに荷物残してあるし。電車通学だからそんな一気には持って帰れないから、実技教科の資料や教科書は春休み中ロッカーに置きっぱなしにしていた。

「あーでもやっぱ今のクラスを離れるってーのも寂しいもんだな」
「そうだねー……って八潮! 何、その大荷物」

 あたしの隣の八潮のロッカー。その中から出てきたのは、あたしのロッカーの中にあった教科書の二倍も三倍も積みあがった教科書の山だった。うわ、主要教科の分もきっちり残ってる……。

「何って……教科書」
「そうじゃなくて! 少しくらいは持って帰んなよ。ってか、春休み中勉強しなかったの?」
「電車だから持って帰んの面倒くせーし。第一部活で忙しかったし、勉強しなくても出来るし、七瀬と違って」

 ……そう、悔しいことにこの男、部活馬鹿の癖に勉強はあたしより出来る。あたしだってテストの点が悪いわけじゃないのに(まあ中の上くらいなんだけど)。部活でもレギュラーらしいし。確かバスケって5人でやるんだよね? 部員だって三十人以上いるのに……。そう考えると、八潮って実はすごいんじゃ……。

「ってなわけで、お前少し持て」

 と、八潮はいきなりあたしの教科書の上に自分の教科書を重ねた。半分とはいかないものの、少しで済んでいた荷物の重さはぐんと増す。

「ちょっと、乗っけていいなんてあたしは一言も」
「つべこべ言わずにとっとと運ぶー」

 ……訂正。八潮はやっぱりすごくない。頭いいし運動神経いいしあたしよりよっぽど整った顔立ちしてるけど性格悪い。見直したあたしが馬鹿だった。ていうか、麗しい乙女に荷物持たせるかね普通。絶っ対言わないけどね。「お前が乙女かよ!」って笑われるのは目に見えてるから! 予想できるから!!

「何? 機嫌悪い?」
「べっつにぃー」
「んな怒んなよ、後でプリンおごってやるから」
「え! 本当!?」

 ……あ。しまった。

「……単純」

 八潮は笑いながらあたしの頭をポンポンとあやすようにたたく。完全にガキ扱いされた。畜生、自分の方が身長高いからって調子に乗って。バスケ部じゃ176センチなんて小さい方な癖に。……でも、今の笑顔とか普通にいいと思うんだけどな、こういう性格じゃなきゃ。

「うるさい……」

 結局八潮に荷物を持たされたまま、あたしは二年D組の教室を後にした。……後でプリンだけと言わずヨーグルトもおごらせてやる。








 新しい教室には少しずつではあったけれど既に人が集まり始めていた。周りにはグループも出来ていて、随分と初々しい空気が辺りを包んでいる。携帯のメルアド交換も始まってるみたいだ。

「えーっと、うちらの席は……っと」

 前の黒板に張り出された座席表であたしと八潮は自分の席を確認する。一番最初の座席だからやっぱり出席番号順に作られていて、となるとやっぱりあたしの前は八潮なわけで。ああまた四月は八潮に構われるんだろうなあなんて考えながら席を探した。
 すると、

「七瀬―、南―、こっちこっち」

 後ろから聞こえたのは、のんちゃんの声。振り返ると、のんちゃんは既に自分の席に座ってこっちに手を振っていた。もう仲良くなったのか前の席の人と話していたらしい。後ろを向いている前の席の人にあたしたちのことを説明している。けどあの後ろ姿、少し色黒の肌、どっかで見たことあるような――。

「え、『宮内七瀬』ってあの宮内?」

 あたしの名前を聞くと、のんちゃんの前いにいた人があたし達の方に振り返った。短く切られた髪、爽やかな印象の男子。

 ……あ!

「やっぱり宮内だ」
「中川君!」

 やっぱりって、それはこちらの台詞だ。久しぶりー、とこれまた爽やかに笑う中川君。昔と変わらないなあ、若干大人っぽくなった気はするけど。

「え、お前ら知り合い? 元クラスメートとかじゃねぇよな」

 八潮は中川君の目の前まで行きまじまじと中川君を見つめる。ふっ、君の知ってる世界だけがあたしの世界だと思ったら大間違いだよ、南八潮。あたしは八潮に近づいてわざとらしくにやりと笑って見せた。

「……なんか今、すげーむかつく笑いされた気がする」
「気のせい、気のせい」

 あたしは自分の席を確認して荷物を下ろす。窓側から二列目の、前から四番目。前は例のごとく八潮だけど、右隣は中川君、その後ろ――つまり、あたしの右斜め後ろにはのんちゃんがいる。へたに隣が知らない人よりはいいかな、とちょっと安心した。

「でも私も驚いた。七瀬と知り合いだったんだ、中川」

 のんちゃんが目を見開いてあたしを見ている。そうか、のんちゃんも知らないのか。当たり前か、のんちゃんは部活が忙しいし。

「あのね、あたしと中川君は――」







「陽平―」




 心臓が……ドクリ、飛び跳ねたような気がした。中川君の下の名前を呼んだ、少し高い声。まるで自分が呼ばれたかのようにものすごく動揺して、必死にそれを顔に出さないようにした。優しさの滲み出た、懐かしい声。ああ、この声を聞くのは何ヶ月ぶりだろう。あたしは声のした前の出入り口の方をゆっくりと向いて、彼の名前を……呼んだ。

「坂下君……」

 太陽を浴びて変色した茶色い髪とか、優しい瞳の色とか、全部一年前のまま。少し背が伸びたかもしれない、顔も少しだけど前より大人びて。けど、にっこりと微笑んだら昔の面影がちらりと見えてほっとした。
 坂下睦月、三年B組、サッカー部エース。……元彼。

「宮内! 八潮に野々原さんも。そっか、このクラスって八潮が言ってたっけ」

 優しく微笑みながら、睦月はあたし達の近くへやってくる。
 ……平常心、平常心を保たなきゃ。大丈夫、あたしと睦月は「友達」だから。

「へっへー、うらやましいだろ、睦月」
「王子もこのクラスだったら良かったのにね」
「それでなくてもせめて隣とかね。……って野々原さん、いい加減その呼び名やめない? 恥ずかしいんだけど」
「だって王子は王子だし」

 八潮ものんちゃんも睦月と普通に接している。そりゃそうか、二人が睦月と喧嘩したわけじゃないし。けど、のんちゃん、「王子」って懐かしい呼び名(のんちゃんはいつからか睦月を「王子」と呼ぶ。曰く、「笑顔とか王子っぽいじゃん」とか)。

「でも本当にうらやましいなあ。陽平、俺とクラス代わろう」
「うわ、自己中発言。絶対嫌だね。悔しかったらお前も選択教科変えな」

 睦月と中川君のやり取りに、あたしとのんちゃんはどっと笑う。八潮も喉をクツクツと鳴らして笑いを堪えていた。
 ああ、一年の時と似てる。同じではないけれど、昔もこうやって皆で笑ったり楽しく話したりしたっけ。なんだ、意外と平気じゃん。そうだよ、別れたって言ったって嫌われたわけじゃないし。部活に専念したいからっていう睦月を応援したかったし。普通に接していいんだよね。
 あたし、今普通に接してるよね?
 

 笑えてる……よね?



「あ、そうそう。陽平、忘れ物。園原さんが困ってたよ」

 思い出した、と言いつつ、睦月は手に持っていた携帯電話を中川君に差し出した。何だ、中川君の携帯だったんだ。てっきり睦月が機種変更したのかと思った。

「おー、サンキュー。マジ助かった。園原さんにありがとうって伝えといて」
「何で俺が」
「だって園原さんは……、あーやっぱ何でもない。うん、自分で伝えるわ」

 ……心なしか、中川君があたしを見た気がしたのは気のせいだったろうか。
 園原さん……か。……あ、もしかして……。

「新しいマネージャーさんの名前、園原さんっていうの?」
「えっ……。あ、そうそう。園原葉摘(ソノハラ ハツミ)ちゃんって俺らの一コ下なんだけどさ」

 なるほど、そうか。そりゃ言いづらいわ。サッカー部元マネージャーのあたしに、新しいマネージャーの話をするのはきっと気がひけたんだろうな、中川君。……優しいなあ。

「じゃあ、俺はもう行くよ」

 用事が終わったようで、睦月はにこりと微笑んで手を振る。こっちの方も丁度先生が入ってきて、話はぶつりと打ち切られることになった。

「じゃあね、宮内、陽平。八潮に野々原さんも」
「うん、じゃあ」

 ひらひらと手を振って、睦月を目で送る。睦月もあたし達の方に手を振りながらドアの向こうに消えていった。








「……びびった。まさか睦月が来るなんて」

 先生は教壇も前でプリントを配ったりごそごそと準備をしているようで、話をし始めるにはまだ時間がかかりそうだ。そんな中で、八潮がぽつりと呟いた。

「でも、これでわかった。なるほど、サッカー部繋がりだったわけだな、お前ら」

 そう、あたしは昔サッカー部のマネージャーだった。といっても、所属していたのは一年生の時だけで、二年からは生徒会で会計の仕事をしているんだけど。つまり、中川君とは一年だけ関わりがあって、同級生だったから仲も良かったんだ。

「なるほど、俺も野々原も知らないわけだ。なあ、七瀬」
「……八潮」
「え?」
「あたし、普通だった……よね?」

 あたしは自分の方に振り向いた八潮に確かめるように訊いた。体は少し震えて、八潮の顔を見ることすら出来なかったけれど。

「睦月と普通に話せてたよ……ね?」
「ああ……」
「笑えてた……よね……?」
「……ああ、良く頑張ったな、七瀬」

 あたしの頭をポンポンと優しく叩く八潮。さっきと同じなのに、それは違う意味を持った態度。八潮の精一杯の優しさ。思わず泣きそうになったけど、こんな日に泣いてなんかいられない。だって、今日は新しい始まりの日だから。またこの日を始まりにして、あたしは悔いのない一年を築いていこう。八潮やのんちゃんや中川君や……睦月と、一緒に。








 あの時、睦月はあたしを「宮内」って呼んだ。あたしも無意識のうちに「坂下君」って呼んでた。まだ、元通りにはなれないかもしれないけれど、これから関係を直していったって、まだ間に合うよね?
 そんな風にあたしはのんきに構えていたんだ、このときまでは。








 午後に起こる、二つの「揺れ」を知る由もなく。










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