ありえない。というかあったらいけない、こんなこと。正にドラマとか少女漫画で見かけるようなベッタベタな展開で、そういう人から見たらオイシイのかもしれないけれど、生憎私にそういった趣味は一切ない。……出来ることなら今すぐ逃げ出したいくらいだ、状況が状況なだけに。

「……何、炭酸嫌い?」
「え、別にそういうわけじゃなくて……」
「ふぅん。……ああ、オレが出したものなんて飲めないか、危なくて」

 冷や汗が全身から噴出しそうな私とは裏腹に、向かいに座った小鳥遊は私の方を見てにっこりと笑っている。普通ならこの笑顔にときめくんだろうけど、状況と投げかけられた言葉のせいで今の私にはそれが恐怖にしか感じられなくなっていた。





『これも何かの縁だし、少しこっちで話さない? 散らかってるけど、上がりなよ』

 小鳥遊彗と衝撃の再会を果たした後、私はすぐさま自室に逃げ込もうとしたのだけれど、鍵を開ける前に腕をがっちりと掴まれてしまい、挙句の果てには小鳥遊の部屋へと強制送還されてしまった。
勿論断ることも出来たんだろうけど、掴まれた腕の痛さとそこはかとなく漂う雰囲気、そしてこれからの展開を考えたら首を横には振れなかったのだ。あの目、この間テレビで見た野生のライオンに似ていた気がする。獲物に狙いを定めた時のような、奥に鋭い瞳を宿した瞳。
断ったらやられる、何がやられるのかわからないけど、確実にやられる。そう直感したので、仕方なくそれに従い今に至る、というわけだ。

 そんなわけで、私は今、小鳥遊の部屋の一室――たぶんリビングになるのだろうか――にいる。辺りには片付け途中の段ボール箱がいくつも散乱していて、正直な話人を招き入れていい状態ではない。そんな中、真ん中にかろうじて二人が座れるスペースがあったので、そこに向かい合うようにして座った。勿論片付け途中でテーブルも椅子も出ていないので、お互いフローリングに直接座り、炭酸飲料の注がれたグラスもそのまま床に置かれている。

「別に変な薬とか入ってねーよ。ただCMの宣伝料としてたくさんもらったから早く減らしたいだけ。炭酸って太るから、オレは好んで飲んだりしないし」

 ふと視線を小鳥遊の横に移せば、確かにさっきスクリーンに映っていたペットボトルと同じものが置いてあった。なんたら恋の味、とかこっ恥ずかしいキャッチフレーズ付いたやつ。へえ、やっぱり宣伝料とかギャラと別にもらえるものなんだ。……って、私は太ってもいいんかい。

 ……ん?

「ちょっと待って」
「何?」
「……あんたさ、1人称『オレ』だったっけ?」

 さっき街頭で会ったときの会話をふと思い返してみる。

『あ、なんだ、ボクのこと知ってる?』

 そう、1人称は「オレ」じゃない、「ボク」だった。言葉遣いも今よりもう少し整っていた気がする。それこそ外見に似つかわしいような、柔らかく穏やかな口調。この部屋で話し始めてから若干の違和感はあったけれど、それはさっきの出来事から来る羞恥心が私をおかしくさせているからだと思っていた。けれど、明らかに態度が違いすぎる。

「ああ、だって普段『ボク』とか使わないし」

 ……は?

「一応この顔で売ってるからさー、変なところでイメージ崩されても困るだろ」

 ……えーっと、本当に目の前にいるのはあの「小鳥遊彗」、だよね? 他人の空似じゃない? 私の記憶が正しければ、確かこの男、可愛らしいルックスに純情路線で人気を集めている(とテレビで言っていた)んじゃなかったろうか。

「まあこれから隣で生活する人間に猫被っても意味ないし? オレの猫被りはバレてるみたいだから別にいいけど」

 目の前の男は私に笑う。「にっこり」なんて可愛いものじゃない。「にやり」と表現するのが正しいのだろう、この場合。この笑顔が爽やか? ……否、それどころか真っ黒だ、感じるオーラが真っ黒だ。
 猫被りはバレてる、ね。

『嫌いなの、あんた達みたいな芸能人がする作り笑い』

 ……さっきのこと、根に持ってるんだ。確かに八つ当たりだったし、向こうからしたら単なるとばっちりだったわけだから、多少は悪かったと思っている。けれど、そんな風に言われたら謝る気も失くす。……むしろ、心の奥底から湧き出るのは、

「……いいの?」

 怒り。

「あんたの本性、業界の人にばらすよ。本当はお腹真っ黒猫被り野郎でした、ってね」

 わざと挑発するような口調で、私は小鳥遊を脅してみた。そう、こっちは結果的に弱みを握ったのだ。何も私が弱気になることはない。こっちにやましいことはないのだから。怯えることなんて、

「出来るもんならやってみれば?」

 ……あれ?
 てっきり困ると思っていたら(困らせようとして言った脅しだったわけだし)、小鳥遊の態度はあいかわらずで、むしろ鼻で笑いながらそう即答された。

「一般人の声なんて、あの業界では蚊の鳴く音にすら届かないよ。あんたの主張とオレの態度、信用があるのはどっちか明白だと思うけど?」

 ……確かに。私は何か権力を持っているわけじゃないし、業界に知り合いがいるわけでもない。そっちの意見は尤もだ。けれど、だからといって屈するようなことはしない。芸能人がなんだ、メディアがなくなればただの人間じゃないか。芸能人が偉いなんて法律は、この国のどこにも存在しない。

「じゃあこっちにも考えが「あんたこそ、此処にいるのがバレたらマズいんじゃないの?」

 私の言葉を遮った、小鳥遊の確認にも似た質問。その一言だけでは意図が理解できず、思わず眉間に皺が寄る。

「どう考えたっておかしいだろ、普通の未成年が一人でこんな立派な部屋借りてさ。家賃だって馬鹿にならないのに」

 ……あ!

「知ってる? このマンションの家賃。まさか自分の働いた金で払ってるわけじゃないよね」

 しまった。すっかり忘れていた。
 このマンションはセキュリティ万全、新築、2LDK。駅から遠いのは少し難点だけど、そんな好条件の揃った物件が数万の金で借りられるわけがない。芸能界で仕事をしている小鳥遊はまだしも、私みたいな人間が一人で住んでいるなんて明らかに不自然。そんなのが誰かに知れたら、「訳ありです」と公言しているようなものだ。

「……言い訳しないの?」

 小鳥遊の笑みがゆっくりと深くなる。悔しいけれど、反論の言葉が見つからない。ここに引っ越した理由は、私がここに引っ越したことは、誰かにバレるわけにはいかないから。

『なんで気付かなかったの?』
『あんたに何の価値もないじゃない』

 今までの自分には、戻りたくない。頭の中を回り続ける記憶を、蹴り飛ばす。

「……言わないで」

 震える声を振り絞って、乞う。

「お願い。ここに住んでること、誰にも言わないで」

 形勢逆転、とはこういうことを言うのだろう。正直こういった、人に頭を下げるような行為は好きじゃない。けれど、それ以上に、私がここにいることがバレるのはマズイ。ここに住んでいる人間なら仕方ないけれど、万が一私と関わりのある人間に知られてしまったら……。

「……なら、交渉成立だな」

 ふぅ、と呆れ返ったような溜息をついた小鳥遊。ペットボトルの炭酸飲料を一口含み、それを飲み下してから彼は私に突きつけた。

「オレはお前のことを誰にも話さない、ここにいる理由も追求しない。その代わり、お前もオレのことは何も話さない。隣に住んでることも、本性も、だ」
「……わかった」

 これはもう仕方ない。私は渋々ながらも頷いた。こんな男の言うことに素直に従うのは癪だが、背に腹は変えられないし。

「……で、名前は?」
「はい?」
「だから、お前の名前」

 ……ああ、まだ名乗ってなかったっけ。私は小鳥遊のことを(一方的に)知っていたからまだしも、名前も知らない人間とこういう関係になるのは気持ち悪いよね。
 ……まあ、名前だけなら大丈夫か。

「キヅキ。綺麗な月って書いて、綺月」
「ん。じゃあ、まあ、これからよろしく、綺月」

 右手を差し出して、小鳥遊は微笑んだ。柔らかで、温かみのある笑顔。
ああ、そうか、これが人気の所以か。

「こちらこそ……よろしく、小鳥遊」

 恐る恐る手を差し出して、小鳥遊と握手を交わす。私は、笑っているだろうか。いや、自分では見えないけれど、多分それはありえない。だって、渦巻く感情は、多大なる恐怖と一抹の不安。
 
 ――面倒なことになったな……。

 心の中で項垂れた私にお構いなしに、こうして私――玖世綺月と、彼――小鳥遊彗の奇妙な日常は幕を開けることとなった。








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(08/03/26) Thanks to ハルカナ様!(前サイト16000hitキリリク)